プロメテウスよ、私もだ!

吉持 章
(日本同盟基督教団平和台恵教会牧師、東京キリスト教学園理事長)

ついた訪問者

 かつて私が牧師をしていた教会に、一人の青年が訪ねて来られました。父は県立高校の校長を務め、兄はある国立大学の大学院で教えておられ、彼自身も東洋一の楽器メーカーのプログラマーと言う、実に恵まれた立場にありました。ところが、一見何の不自由もないかに見えたその青年は、意外な悩みを打ち明けてきたのです。「生きることがむなしくて仕方がないのです。これまで何とか頑張ってきましたが、正直疲れ果てました。今の自分には三つの道だけしかないように思えるのです。その第一は、自殺です。いっそ死んでしまったらと思うのですが、自分にはそんな勇気はありません。第二は、精神的に破綻をきたして心の病に陥ることです。考えたくはありませんが、このまま何の回答もないとすれば、結果はどうもそうなりそうです。三つ目はキリストです。最近一人で聖書を読み、ここに何かがあるように思えるのですが、それが自分だけではつかめずお訪ねしました。」と語られました。虚飾に満ちた現代社会にあって自分をごまかし、生きていくには、彼の生き方はあまりに理性的で真面目でした。
 わたしは、この青年の真実で、痛々しい告白を聞きながら、ふとギリシャ神話のプロメテウスのことを思い出しました。

プロメテウスの悲劇

 プロメテウスはギリシャ神話の巨神族のひとりとして登場します。彼は裸に造られた弱々しい人間を見てあわれに思い、神々の火を盗んで与えました。火は文明の母となり、人間はその火によって武器や道具の生産を始めます。ところがねたみ深いゼウスはこれを知って、プロメテウスを鉄の鎖で縛り上げ、コウカサスの絶壁に掛け、日のある間、はげ鷹に命じて、彼の生き肝を情け容赦なくついばませたと言うのです。
 この残酷な昼が去ると、プロメテウスは昼の間痛めつけられたその生き肝を一夜の月星に慰められて、やっとの思いで回復させます。ところが再び夜が去って日が昇ると、またもや、はげ鷹がやって来て無惨にも彼の生き肝を食いちぎります。何と憐れなプロメテウスの運命でしょう。

プロメテウスよ、私もだ!

 しかし、この悲劇はひとり神話の中のプロメテウスの運命だけと言えるでしょうか。いいえ、それは悲しくも現代人の姿に重なります。日がな一日、火が作り出す産業と呼ばれる、非情な鉄のベルトにつながれて「開発」「生産」「売上げ」「利潤」と飽くことのない巨大な企業はげ鷹の胃袋の前に、自由も、個性も、人間性も、情け容赦なく、ついばまれ、食いちぎられて行く現代人の日常そのものではないでしょうか。
 今、若者も、老人も、あらゆる階層の人々に共通のジレンマは、自分たちが飽くことを知らないこの貪欲文明に追いまわされ、「自己の存在理由までがおびやかされ続けている」という焦燥感です。現代の社会は人間の尊厳も個人の精神破壊も、家庭の破綻もものともしません。すべてが非人格的にオートマ化され、立ち止まって考えることさえ許されません。人はいつの間にか、文明の開拓者でも統治者でもなく、機械文明の囚人そのものになり下がってしまいました。そこでは思考や個性はむしろ効率の敵と見なされ、ただ冷酷なコンピューターだけが、絶対の鍵を握っているのです。現代社会が欲しているのは、効率本位の「労働力」であって考える葦ではないのです。何と悲しいプロメテウスの日々でしょうか。
 現代社会のプロメテウスが疲れ切ったハートをかかえて、やっとの思いで帰り着く我家、そこにも高い家賃や果てしないローンが待ち受けています。とはいえそれでも、そこにはつかの間の解放があり、夜の城主はそこでようやく重い労働の鎖を解かれて考える我を回復させます。しかし、朝と共にまたしても非情な鎖が彼を待ちうけ、再び悲劇が繰り返されます。生とは何と残酷な旅。溜息とともに、そうつぶやきたくなってきませんか。  教会を訪ねてきたあの青年の空しさと痛みも、ここに原因がありました。ただ、幸いなことに彼は、自殺もせず、精神を病むことにもなりませんでした。それは彼がたずねた第三の道、キリストとの出会があったからです。

神のことばが

 聖書の神は人類に呼びかけて言われました。「あなたは、どこにいるのか。」と(創3:9)これこそ神の永遠普遍の問いかけです。創造者なる神は、神の愛から迷い出て自分の力を過信し、ただ物の豊かさだけを追求する人間に向かって、「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。』」(マタイ4:4)と言われました。人生にパンの必要なことは勿論です。しかし、人は「パンだけ」即ち「物だけ」では生きられません。人が人であるためにはどうしても「パン」の他に「神の口から出る一つ一つのことば」がなくてはなりません。実は人間のプロメテウス的悲劇は、人類の父祖アダムがエデンの園で神に背いたその時から始まっているのです。その時以来人類は、呪いの荒野を顔に汗して耕す、悲しい運命を負わされたのです。

解放者、キリスト

 先のギリシャ神話では、長い年月の後に英雄ヘラクレスが現われて、プロメテウスを運命の鎖から解放します。しかし、私たちには神話ではなく、真の解放者がいて下さいます。神の子キリストが、二千年前歴史の中に、ベツレヘムの馬小屋に人間となって誕生されました。そしてキリストは全人類の罪と呪いの身代わりとなり、十字架上で確かに死んでくださいました。さらに三日目に死人の中から甦り、今もなお信じる者と共にあって、生きる力を与えてくださいます。キリストはこの二十世紀末の殺戮と憎悪と略奪の絶えない人の歴史の真只中に今も生きて働き、今日も「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(マタイ11:28)と、あなたを捜し、あなたの帰りをひたすら待っておられます。キリストの招きは「すべて」であって、そこには民族、性別、年齢、貧富、性格等、なんの制約もありません。
 それは、「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」(Uコリント5:17)とある通りです。キリストの招きは、「すべて」であり、「だれでも」であり、人はみな例外なく、そのみ救いに招かれ続けているのです。神のみ救いにあずかるのに、手遅れな人などこの世界にひとりもありません。  あなたも、あの青年のように生きることの空しさから解放され、キリストによる本当の安らぎと喜びを発見されませんか。

/カリスとは、ギリシャ語で「恵み」と言う意味です。

 発行:日本同盟基督教団伝道部 

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