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投稿者 : doumei 投稿日時: 2017-08-04 17:18:23 (67 ヒット)

献堂の恵み 

西大寺キリスト教会 グローリア礼拝堂献堂 

牧師 赤江 弘之

不可能を可能にする神

 「願いを起こして実現させてくださる神」(ピリピ2章13節)は、「死者を生かし、無から有を生じさせる」お方です。このプロジェクトに20年近い歳月を費やしました。しかし、主は数々の困難を乗り越えさせてくださいました。

 困難の項目をあげれば、まず当初予定の取引銀行融資の約束が反故になり、土地の拡張と調整区域の土地の開発許可を得るために行政との折衝に数年かかりました。設計コンペで優れた設計会社「アトリエ ベー」(クリスチャン設計家三宗会長)が決定しました。施工業者との見積もり直前に資材の高騰と工事費の急騰で、当初予定の施工会社との間で見積もり不調となりました。

 開発許可申請中に東北大震災と東京オリンピック開催決定、その他岡山の建設ラッシュなどによる人件費の上昇と、職人不足が原因でした。そのため当初予算より3〜5割アップの見積もりとなり、工事費削減のため鉄鋼構造から木造に設計変更しました。解決のために主は「オフィス 晴」(金関行政書士)や協力者を備え、融資銀行の課題のために岡山で最大手の銀行と契約に導き、さらに不足分を補うため30年という融資期間の延長を可能にされたのです。また、本来ならば鉄骨以上の建設費がかかる大構造の木造建築が、三宗先生のご紹介で構造設計界の権威者、川口衞先生の設計により経済的な工法となりました。施工会社は新たに「プロズジャパン」(河野社長)が備えられ、関係業者の皆さまは収益を度外視して取り組んでくださいました。

 他にも数々の試練がありましたが、長老・執事を中心とする教会員の信仰と愛と望みの忍耐による、献身と一致の実がグローリア礼拝堂の完成でした。今はただ、恵みに満ちる神の栄光をほめたたえます。


投稿者 : doumei 投稿日時: 2017-08-04 16:55:24 (48 ヒット)

教会紹介 沖縄中央教会 (沖縄宣教区 沖縄県沖縄市)

教会形成を共に喜ぶ

牧師 喜友名 朝英

 神山本愼牧師がコザキリスト伝道館を1959年に開拓し、1967年に同伝道館と神山牧師と協力宣教師喜友名みどり師とが教団加入。これにより同盟基督教団の宣教となりました。1968年に神山本愼牧師が召天、69年から町川洋三牧師が派遣され、献堂時に沖縄中央教会と改名。その後、山室裕英牧師、渡辺和郎師、喜友名朝英牧師が遣され現在に至っています。喜友名師は1991年に着任、5代目です。 

 教会資質目標として「与える教会、赦す教会、建徳の教会」、数値目標として「30組のクリスチャンホーム、200人礼拝」を掲げています。宣教指針として「私たちは、これまで多くの教職者・信徒から愛の涙と汗と心血がそそがれ、祈られて、福音を受け入れ、救いに与りました。これからは、私たちが唯一の救い主・イエス・キリストの福音宣教に生き、同世代、次世代に伝達し、教会形成に励み、再臨を待ち望みます」を掲げています。前任牧師には週報を送り、母の日や、クリスマスにカードを送って、感謝をし、祈りつつ、祈って貰うこと、奉仕献身者や出身信徒をも覚え、教会記念事業を覚えてもらいたいと願っています。

 同盟教団最初の海外宣教師を献げた教会として、初代牧師神山本愼牧師のインドネシア宣教師の夢を清野勝男子宣教師を通して実現されたことを教会の喜びとして共同の教会形成に夢と誇りとに将来を懸けています。

 今年の祈りの課題はネットワークにあるように「教会開拓で教会を生み出せる成熟・・・・建徳の教会拡大」「教会開拓で献身者が与えられるように・・・・与える連鎖拡大」「教会開拓で救われる方々が増えるように・・・赦しの世界拡大」です。


投稿者 : doumei 投稿日時: 2017-08-04 16:52:26 (46 ヒット)

教会紹介 下馬福音教会 (東京宣教区 東京都世田谷区)

赦しの福音と弁証論的説教の必要性

牧師 武田 順児

 下馬福音教会は在日スウェーデン福音宣教団のピアソン宣教師によって始められました。1951年に現在地を取得。翌52年1月12日より聖書研究会が始まり、この日が教会創立記念日となりました。ピアソン師の後は数名の宣教師と奉仕神学生によって支えられ、岡本昭世師が最初の日本人牧師となりました。

 その後、前橋キリスト教会伝道師だった武田順児牧師が1992年4月に赴任して現在に至っています。当初はウェストミンスター信仰規準とハイデルベルク信仰問答を導入して教理教育に力を注ぎましたが、現在では改革派神学の理性的「行き過ぎ」を感じるため採用していません。キリストの霊(聖霊)の自由なお働きに導かれる釈義を含んだ黙想的説教と主題説教が多くなっています。

 戦後50年に向かう1994年頃から教会と国家の関係について反省的に見るようになり、修養会や信徒学校で日本キリスト教史を学び始めました。学びから日本人の民族的・信仰的弱点を知るに至り、2001年「創立50周年記念声明」を告白しました。要点は日本人の福音理解は情緒的であって牧師との親しみの中で受け入れられていることが多く、神学的ではないということでした。この体質を認めて克服する意志をもち得るかが継続的な課題になるでしょう。

 昨今の世界情勢や国内の伝道不振の状況を鑑みる時、終末論的視点を意識せざるを得なくなりますが、これまでの聖書の部分的な釈義的考察と説教および日本の文化に対する距離感を持ち続けるだけでは有効な福音宣教は為されないのではないかと危惧しています。もっと日本文化を好意的に理解する心を持ち、連続講解説教から弁証論的説教へと切り替えていく必要性を感じています。


投稿者 : doumei 投稿日時: 2017-07-06 17:11:47 (173 ヒット)

教会紹介 世田谷中央教会 (東京宣教区 東京都世田谷区)

サザエさん通りにある教会

牧師 安藤 能成

 当教会の歴史は1947年7月に安藤仲市牧師と川口三恵長老によって開拓がはじめられました。ふたりは戦時中神田ホーリネス教会で牧師と信徒の関係でした。同年11月3日に創立礼拝を行い「ヘブロン教会」としてスタートしました。初期には関西聖書神学校から小島伊助教授を招いて世田谷聖会を開き、聖会は今日まで続いています。その後TEAM宣教師が開いていた新町伝道館の土地建物を引き受けて現在地に移り、神さまのお導きの中、日本同盟基督教団に加入して「世田谷中央教会」となりました。

 現在主日に4回の礼拝と2回の教会学校を開いており、仕事で東京に来られた方や所属教会の礼拝に出席できなかった方々も利用しています。教会学校の下で週日に、こどもえいご教室を開き、多い時には100名位の登録があります。また商店街の真ん中に位置しており商店街にも好意的に受け入れられています。毎年12月第二土曜に開催するクリスマス・ジャズライブには一流プレイヤーを呼んで好評を博しています。

 毎年夏は松原湖BCを会場に教会ファミリーキャンプを開き交わりとアクティビティーを中心に老若男女親しく過ごしています。とくに伝道プログラムはしていませんが信仰に導かれる方も起こされています。

 70年の時を経ますと初期とそれに続くメンバーは天に移されて現在は第3世代、第4世代の教会員となってくる中で様子も変化して来ているのも確かです。また長年中心的に奉仕されて来た方々が遠隔地に移って行く傾向もあり、これからどのように教会形成と福音宣教をしてくことができるのかが課題です。


投稿者 : doumei 投稿日時: 2017-07-06 17:08:51 (134 ヒット)

教会紹介 読谷聖書教会 (沖縄宣教区 沖縄県中頭郡読谷村)

この地に聖書に堅く立つ教会が建て上げられることを願いつつ

牧師 大瀧 信也

 1945年4月1日、沖縄戦時に米軍が最初に沖縄に上陸した地が、読谷村(当時の名称は読谷山村)でした。読谷村の東部には米軍施設嘉手納弾薬庫地区(村の面積の約6分の1)があり、村の中西部には米軍施設トリイステーション(基地)(村の面積の10分の1)があります。村の北部には、世界遺産である座喜味城跡があります。村の人口は約4万人であり、全国で人口が一番多い村となっています。

 当教会は、2000年9月に沖縄宣教区(当時の名称は沖縄ブロック)によって開拓され、翌年4月から2007年3月まで結城晋次牧師が宣教と牧会の任に当たられました。そして、妻の健康上の理由から2006年3月末に沖縄の地に移住していた私(大瀧)が、宣教区の求めに応答して、2007年4月から牧会の任に当たっています。

 当教会はこれまで、教団や宣教区や諸教会や信仰の友の祈りと支援に支えられてきたことを主に感謝しています。

 いまだ小さな群ですが、主日礼拝の最初の30分間には1歳から10歳までの子どもも出席し、8分間の子ども向けのメッセージを聞きます。子どもの数は多いと10名ほどになります。成人の礼拝中は、年長の子どもたちは別室で聖書の学びをします。

 成人の場合、主日礼拝に都合により出席できない場合の方のために土曜夜第二礼拝を持っています。

 祈りの課題は、成人の礼拝出席者が15名になること、今年2名以上の受洗者が与えられること、一人ひとりの信徒の信仰が日々成長していくことです。


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