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投稿者 : doumei 投稿日時: 2018-11-08 16:24:58 (23 ヒット)

教会紹介 盛岡みなみ教会(東北宣教区 岩手県盛岡市)

一人ひとりの賜物を用いて

役員 高橋 悟

 盛岡みなみ教会は、2004年に東北岩手の地に建てられ、大塚史明師・朗美姉が赴任しました。場所は県都盛岡市の新都心「盛南開発地区」。その5年ほど前までは田畑の広がる農村地帯でした。当時、私は他教団の教会に属しておりましたが、この魅力的な新しい地に教会を建てることができたらと、かすかな思いを抱いていたものでした。

 借家から始まった宣教活動でしたが、2010年には新会堂を献堂(間もなく私たち家族は転入会)。そして、その1年1か月後に起きた3・11。教会は被災地の支援拠点となりました。2013年、ロビソン宣教師一家を迎え、子ども英会話クラスなどを行い、さらに多くの方々が教会を訪れました。 

 2017年、13年間続けられてきた教団からの開拓支援が終了し、また宣教師一家の帰国が重なり、教会はさらなる自立に向けて試練の時を迎えました。しかし、私たちの教会は震災支援という働きを託されたことで、地域に仕え、貢献していくことの大切さを学びました。

 そして今年、地域貢献事業三本柱として「英会話くらぶ」「カウンセリングルーム」「こども食堂」を立ち上げ、活動を展開しています。私は、精神科病院での心理士としての働きを生かし、カウンセリングルームを担当しています。「教会でカウンセリングをしたい」。これは、私の長年のビジョンでした。今、与えられた賜物を神さまと人のために用いることのできる喜びを大いに感じながら、利用される方の心の声に耳を澄ませています。

 神さまのみこころと、多くの方々の祈りによって支えられてきた私たち盛岡みなみ教会が、一人ひとりの賜物を用いることにより、さらに豊かな実を結ぶことを確信しています。


投稿者 : doumei 投稿日時: 2018-11-08 16:22:46 (24 ヒット)

教会紹介 子母口キリスト教会(東京宣教区 神奈川県川崎市)

主が種を蒔き、良き実を結ばせてくださる

牧師夫人 小岩井 智子

 子母口キリスト教会の歴史は、1955年ドイツのカール・ノートヘルファー宣教師ご夫妻と日本の青年献身者たちを通して南武線新城駅周辺に主がみことばの種を蒔いてくださったことから始まりました。主を信じる子ども・大人たちが次々と与えられ 、礼拝の場として間借りから小杉御殿町の中原福音館が与えられ、1963年日本同盟基督教団に加入し、島田満雄牧師が赴任しました。1967年現在地の子母口に教会堂が建てられ、多くの献身者を送り出しました。丸山俊二牧師の時に教会に集う人々が更に増え、新会堂建設の願いが進むさなかで丸山俊二牧師は天に召されました。教会員たちは福音宣教に命を賭けた牧師の姿を心に刻みました。そして木谷信三牧師が赴任し、1993年に新会堂が献げられました。2006年には小岩井信牧師が赴任し、今日に至っています。

 現在は主日礼拝を子どもと大人が一緒に捧げ、その後分級で世代ごとに学び、毎週手作りの美味しい食事の交わり、午後は教会学校の礼拝・成人の聖書の学びの時があります。それぞれが主の賜物を用いて奉仕し、恵みによって教会から家庭・学校・職場・地域へ遣わされて行きます。教会は小中学校に近接していて、平日(水・金・土曜日)にも開いている教会学校に子どもが子どもを誘い、多くの子どもたちが福音を聞いていることは主の大きな恵みです。この教会の歴史の初めからご自分の畑に良い種を蒔き続けておられる主が、これからも良き実を結ばせてくださることを信じて、皆で主に仕えて行きたく願います。


投稿者 : doumei 投稿日時: 2018-10-10 16:49:50 (77 ヒット)

教会紹介 久留米聖書教会( 東京宣教区 東京都東久留米市) 

だれにでも開かれている教会を目指して

牧師 下田 陽介

 久留米聖書教会は昨年、創立40周年を迎え、41年目の歩みが始まっています。1977年に、ダビデ・マーチン師が私たちの教会の開拓を始めました。当初はCAJ(クリスチャン・アカデミー・イン・ジャパン)という宣教師の子どもたちのための学校の一室を借りて、礼拝を行っていましたが、2000年に現在の会堂を取得しました。ダビデ・マーチン師から数えて、私は7代目の牧師となります。約40年の教会の歩みの中で、多くの献身者が輩出され、また現在、同盟基督教団の牧師として活躍されておられる先生方の中には、かつて実習神学生として奉仕してくださった方もいらっしゃいます。

 東久留米市は人口が12万人弱の町で、都心へのアクセスが良く、一方で東京都にありながら畑地や雑木林も多くあります。この地域は前述のCAJや自由学園等のミッションスクール、宣教団体の事務所があり、宣教師が多く住む地域です。教会も多くあります。さらに私たちの教会は、一日平均約5万5000人が利用すると言われる東久留米駅から徒歩6分の好立地にあり、新来会者も多く訪れます。しかし、新しく来られる方々の教会への定着が課題です。飛び込みで教会に来られる方は、多くの場合、抱えきれないほどの重荷を負っており、私たちは精一杯迎えますが、教会につながっていくことができません。

 そのような中で2016年からTEAM宣教師が協力してくださり、子ども向け英語クラス等の働きが始まっています。これらの働きを通して、多くの若い子育て世代が教会に集い始めています。この方々が礼拝に出席し、教会につながっていくようにと祈り求めています。


投稿者 : doumei 投稿日時: 2018-10-10 16:47:24 (80 ヒット)

教会紹介 小湊キリスト福音教会(東北宣教区 青森県東津軽郡平内町)

北国からみことばの種を

教会員 久保田 佳美

 小湊キリスト福音教会は、同盟基督教団の中で本州最北部の教会です。平内町は農業漁業中心で、人口は1万3000人。冬の寒さは厳しいものがありますが、海の幸山の幸に恵まれた、美しい自然の中に十字架がそびえ立っています。平内町は三味線の名人・高橋竹山の出生地、そして日本のゴスペルフォークの元祖、山内修一の生まれたところです。

 1954年9月、青函連絡船「洞爺丸」は台風15号の暴風雨の中、函館から青森へ向かう途中遭難沈没。死者・行方不明者は1000人を超える大惨事でしたが、この事故は悲劇だけでは終わりませんでした。犠牲となった米国人男性の敬虔なクリスチャンの母が「息子の死を無駄にしたくない」と青森の宣教師に献金、やがて平内町の海岸沿いの物件を購入し、キャンプ場として多くの教会、信徒に利用されました。その後、キャンプ場は青森市雲谷に移転しましたが、キャンプ場で信仰が養われた兄姉達により1961年、町中心部に物件を購入し礼拝や交わりを開始しました。私たちの教会誕生の経緯です。1977年、現在位置に献堂し1984年同盟基督教団に加入、小林望牧師が就任しました。1999年から鈴木徹司牧師、2008年から東頭戍牧師、2015年から張賢國牧師に引き継がれ現在に至っています。

 教会創立から57年。今まで平内町内全域に5回、6回と繰り返しトラクトを配布、みことばの種を蒔き続けています。20名弱の礼拝ですが、一人一人が整えられ、キリストの愛を実践し、近隣の方々にも伝道活動を続けていきます。1988年から始まった教会宣教バザー、今年も開催に向け準備を始めました。


投稿者 : doumei 投稿日時: 2018-10-10 16:41:47 (60 ヒット)

献堂の恵み 会堂建築 

村上福音キリスト教会 牧師 面 

 この4月に赴任し、前任者から建築までの経緯をお聞きする中で、思った言葉が『ドンデン返し』でした。難しい事情の中で、歴史は全く逆の方向に動き出したからです。会員10名以下の群れに、226坪の土地が与えられ、なおかつ、新会堂が建ったという事実が何よりも証していると思います。

 勿論、直接関わりあってくださった方々の卓越した判断。物心両面における献身的働き。誠心誠意ある施工は言うまでもありませんが、宣教区、全国の兄弟姉妹・先生方の熱き祈り、ご支援があってのことと思います。そして、それよりも何よりも、神が村上の歴史に熱い思いで介入されたからです。

 今の地は、目の前に、大きくそびえる臥牛山があり、この頂には、村上城が建っていました。地域の方々も、城下町と表現されます。一方で村上市内は温泉による旅館も多くあります。プライドの強さと、享楽的な面があるのか、と感じています。

 そして、今年無形文化財に指定された、村上大祭があり、この時ばかりは、何時も控えめな村上市民が、爆発する時と聞きました。歴史の権力者と偶像祭が深く結びついた地は、知らない内に、人々の心を虜にしています。

 市内には、キリスト教会は2つと聞いており、福音の不毛を感じていました。しかし、こちらにも、あちらにもクリスチャンがいるという様に不毛ではありませんでした。(隠れキリシタンの地蔵もあります。)

 使徒18章10節「この町には、わたしの民がたくさんいる」村上にリバイバルが来ます様にと、神の国拡大に取り組んでいきます。お祈りください。


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