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TOP : エルサレム会議に学ぶ
投稿者 : doumei 投稿日時: 2011-03-04 23:30:27 (2390 ヒット)

<p>エルサレム会議に学ぶ常任書記  水草 修治(小海キリスト教会牧師) 宣教120周年に当たる今年の教団総会に臨むにあたって、使徒の働き15章に記された最初の公会議のようすに三点学びたいと思います。 アンテオケ教会で、異邦人も救われるためには、割礼をはじめさまざまの律法を行なわなければならないのかということが問題となりました。これはアンテオケ教会のみならず各地に誕生しつつあった教会にとって共通の重要課題でしたから、パウロとバルナバはアンテオケの一教会だけで結論を出すべきではないと判断して、使徒団のいるエルサレム教会へと出かけて行ったのでした。ここから学ぶ第一点は、それぞれの地域教会はもちろんたいせつですが、同時に、教会は地域を越えて一つなのだということです。「からだは一つ、御霊は一つです。」(エペソ4章4節) パウロとバルナバを迎えて、エルサレム会議が開催されました。会議では、まず二人が神が異邦人にも聖霊を注いで救いのわざを行なわれたことを報告し、異邦人に割礼などの律法を強いてはならないと話しました。それに対して、パリサイ派の者で信者になった人々は、異邦人にも割礼など律法を守らせるべきだと主張しました。「激しい論争」でした(7節)。しかし、それは自分が勝つためにされた論争ではなく、神のみこころを求める議論でしたから、最後にペテロがユダヤ人も異邦人も恵みによって救われたのだ、我々も負い切れなかったくびきを異邦人に負わせるべきではないと言い(10、11節)、ヤコブは旧約の預言を引いて神は異邦人を召すとおっしゃっていることを論証すると(13〜18 節)、一同みこころを悟って一致したのでした。ここから私たちが学ぶべき教会会議の第二点は、教会会議は、主のみこころを求める会議なのだということです。活発な議論は歓迎です。しかし、それはどこまでも「みこころの天になるごとく地にも」という祈り心をもって、です。 エルサレム会議はこうして福音の本筋を明瞭にしました。異邦人は割礼を受けないで救われるということです。イエスを信じて救われた異邦人は、十戒に反する偶像礼拝と不道徳は別として異邦人として生きていけばよいのです。けれども、エルサレム会議は、福音の真理の本筋を明瞭にするとともに、実際的適用において、主を求める人たちにつまずきを与えないために、細やかな愛の配慮をしたことに気付きます。一つは、ローマ帝国のあちこちに住んでいるユダヤ人たちが、ひょっとしてイエスがメシヤなのかも知れないと思って教会を訪ねようと思ったときに、彼らにとってつまずきとなるような振る舞いは控えてくださいと求めたことです。「偶像に供えて汚れた物と不品行と絞め殺した物と血とを避けるように書き送るべきだと思います。昔から、町ごとにモーセの律法を宣べる者がいて、それが安息日ごとに諸会堂で読まれているからです。」(20、21節)というのは、そうした配慮でしょう。もう一つの配慮は会議の結論をアンテオケに持ち帰るパウロとバルナバに、エルサレム教会の代表者と書面で会議の結論を持たせたことです。そうしないと、パウロに反対する人々がパウロたちの報告に疑問をもつ危険性があったからです。こういうわけで、教会会議における大事な点の第三は、原則を明瞭にしつつ、適用における愛の配慮をすることです。「愛をもって、真理を語りなさい。」( エペソ4章15節)</p>


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