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TOP : 御国に向かって生きる
投稿者 : doumei 投稿日時: 2017-01-16 11:56:41 (352 ヒット)

御国に向かって生きる

理事長 廣瀬 薫

「『あなたの子孫に与えよう』と言って誓った地はこれである。わたしはこれをあなたの目に見せたが、あなたはそこへ渡って行くことはできない。」こうして、主の命令によって、主のしもべモーセは、モアブの地のその所で死んだ。(申命記34章4〜5節)

 様々な困難に満ちた時代が続いています。私たちは、新年を迎えてどのような姿勢を定めればよいでしょうか。一言で言えば、目指す約束の地を見て、「御国に向かって生きる」ことをひたすら貫いて生きればよいのだと思っております。そう私に分からせてくれた一つのきっかけは、M・L・キング牧師の説教です。「私には夢がある」が余りに有名ですが、私は、彼の説教のベストワンとして、1968年4月3日の「私は山頂に登って来た」を上げます。彼が暗殺されたのは翌日の4月4日。これはその前夜に語られた、キング牧師の最後の説教です。この中で彼は、私は約束の地を見たと話し、その自分をモーセになぞらえるので、凄味のある内容になっています。モーセは40年の荒野の旅を経て、約束の地を目の前にして、しかしそこに入ることができませんでした。最後にピスガの山頂に登って、約束の地を見渡します。キング牧師は、39歳の自分に死が迫っていることを知っていたようです。概略次のように語ります。…私たちの前途は困難だ。私も人並みに長生きがしたいとは思う。しかしそれは、主のみ心に従うことに比べればどうでもいいことだ。私は神さまによって、山頂に登って約束の地を見たのだ。…そして、こう言うのです。「私は、皆さんと一緒にはそこに行けないかも知れません」。自分の死を予感するようなゾクゾクする言葉です。そしてこう続けます。「しかし今夜、皆さんに知って欲しい。私たちは、一つの民として、必ず約束の地に到達するのだということを」。一つの言葉に注目しましょう。「一つの民として」(as apeople)です。キング牧師は、自分は行けないかも知れない。しかし約束の地は見えた。自分は行けなくても、神の民は必ず行くのだ。自分はその時地上に生きていなくても、神の民の一員として必ずそこに一緒に行くのだと、はっきり自覚して満足しています。「約束の地」は究極的には世の終わりに完成する神の国を指しています。「今夜、私は幸せです。私は何も心配していません。私は誰をも恐れていません。私の眼は、主の再臨の栄光を見たのです」が、キング牧師の最後の説教の終わりの言葉でした。

 御国は、今も地に来つつあります。しかし既に還暦を迎えた私は、生きてゴールには入れないかも知れません。主の召しに応えて献身し、日本のリバイバルを願って神さまの働きに仕えて来ました。しかしリバイバルが成る前に死ぬかも知れません。けれども、目指す方向の先に何度か、約束の神の国を見る思いをして来ました。その方向に進み続ければ、生きて御国の完成を経験できなくても、一つの神の民、一つのキリストの体として必ず入るのです。

 私たちは信仰の目を開いてゴールを見て、正しい方向に進んで行けばよいのです。これは、願う通りの結実をなかなか手にできない私たちにとって、大きな励ましとなることです。約束の地は用意されており、必ず日本の神の民はそこに至るのです。大切なのは、神の国に向かって生きる方向性において、ぶれないことです。私たちの生涯はこのために尊く活かされたのだと、最後には喜びに至るのです。私たちは今年も、「御国に向かって生きる」歩みを、主と共に、兄弟姉妹と共に定めましょう。


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