Welcome Guest 
災害関連情報
ニュース
ご案内
教団各種資料
教団関係者用メニュー
TOP
TOP : 父の御手の中で
投稿者 : doumei 投稿日時: 2017-02-01 16:57:03 (404 ヒット)

父の御手の中で

副理事長 朝岡 勝(徳丸町キリスト教会牧師)

「私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。」(ローマ8章38〜39節)

   震災から6年

 来月3月11日で、東日本大震災から6年を迎えようとしています。今なおたくさんの傷を受け、痛みを抱え、今なおその苦しみを背負い、じっと耐え続けている方々がいます。他者の苦しみのそば近くに置かれる時、あるいは自らがその渦中に置かれる時、そこで何ができるのか、何を語ることができるのか、何を差し出すことができるのかと問われ、自らが信じる福音についての確信が問われます。

 震災のような圧倒的な規模の苦難から、病いや死という個人的、個別的な苦難まで、生ける神を信じる者として、その苦難の中でどのようにあることができるのか。そこでいつも繰り返し思い起こす二つのことばがあります。ローマ8章と、「生きるにも死ぬにも、あなたのただ一つの慰めは何ですか」というハイデルベルク信仰問答の第1問です。ここで「慰め」と訳されるドイツ語「Trost」とは確かな根拠、支えとなるものを意味すると言われます。ですから「生と死においてあなたを支える確かな拠り所は何か」が問われるのです。ラウハウスというドイツの牧師がこの第1問について「問題になっているのは、生きる勇気であり、死に際の確信だ」と言っています。生きる勇気と死に際の確信を与えるただ一つの拠り所を、それが「生きるにも死ぬにも、私がただ一人の贖い主イエス・キリストのものとされていること」なのです。

   キリストにある父の愛

 この第1問を支えているのが冒頭のローマ8章38〜39 節です。このみことばを教理のことばで言い換えるなら、「キリストとの結合」ということです。聖霊によって私たちはキリストと一つに結び合わされ、その結びつきを断ち切ることができるものは何一つない。どんな被造物も私たちを主イエスにある神の愛から引き離すことはできない。凄みさえ感じさせる信仰のことばです。

 ハイデルベルク信仰問答の第27問は「神の摂理について、あなたは何を理解していますか」と問い、これに対して「全能かつ現実の、神の力です」と答えます。そして地上で起こるあらゆるできごとの「すべてが偶然によることなく、父親らしい御手によって私たちにもたらされる」と教えるのです。「摂理」の信仰は「暴君の横暴」でなく、「父親らしい御手」を信じる信仰です。そしてこの父の御手に込められた愛を、私たちは「逆境においては忍耐強く、順境においては感謝し、将来については私たちの真実な父なる神をかたく信じ、どんな被造物もこの方の愛から私たちを引き離すことはできないと確信」するのです。

   父の御手の中で

 摂理の信仰とは、神が私たちの御父であり、その御父は私たちに愛する御子キリストを賜るほどに愛してくださり、それゆえに御父が私たちに与えるものを、忍耐し、感謝し、待ち望み、神の愛を確信し続ける信仰です。すべてのことが分からなくても、それでも父なる神を信じる。すべては御手の中にあって美しく、最善に導かれていく。この御手から誰も私たちを奪い去ることはない。この一つのことを生きるにも死ぬにも私の慰めとして信じて生きていく。それが私たちに与えられている信仰の世界なのです。

 


印刷用ページ 

ログイン
ユーザー名:

パスワード:


パスワード紛失

検索
日本同盟基督教団