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TOP : 教団信仰告白の解説 その11 我らは信じ、告白する
投稿者 : doumei 投稿日時: 2017-06-02 11:29:13 (321 ヒット)

教団信仰告白の解説 その11 

我らは信じ、告白する

徳丸町キリスト教会 牧師 朝岡 勝

 信仰告白第6項、聖霊についての告白の中段部分を取り上げます。

 「人は、自分の行いによらず神の恵みにより、主イエス・キリストの贖いのゆえに、キリストを信じるただその信仰によって義と認められる。」

  聖霊の中心的な働き

 信仰告白第6項は三位一体の第三位格である聖霊についての告白で、内容から前段、中段、後段に分けられます。前回(2016年2月号)取り上げた前段では、聖霊のおもな働きを「救いを届ける働き」であると言いました。今回取り上げる中段部分では、その救いの働きの中心、教理の言葉で「信仰義認」が扱われます。

 ちょうど今年は宗教改革5 0 0 年記念の年です。1517年10月31日、ウィッテンベルクの城教会の掲示板に一介の修道士であったルターが、贖宥状販売の聖書的な根拠を問うための公開討論を呼びかける文書(95箇条の提題)を貼り出したことを端緒として始まった宗教改革運動の最重要テーマが信仰義認の問題でした。人はどのように神の御前に義とされるのか。この問いに取り組み続けたルターの「福音の発見」こそが、神の法廷での義の宣告を受け入れるという恵みの事実だったのです。

  自分の行いによらず 神の恵みにより

 信仰義認の教えは、プロテスタント教会が「立ちもし、倒れもする条項」とまで言われた中心教理であり、教団信仰告白が前文において「宗教改革において鮮明にされた信仰」と呼ぶのは、まさに「自分の行いによらず神の恵みにより…ただ信仰によって義と認められる」とする部分です。しかしこれはそもそも聖書が明確に語っている教えです。

 「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです」(ローマ3章23〜24節)、「人は律法の行いによっては義と認められず、ただキリスト・イエスを信じる信仰によって義と認められる、ということを知ったからこそ、私たちもキリスト・イエスを信じたのです。これは、律法の行いによってではなく、キリストを信じる信仰によって義と求められるためです。なぜなら、律法の行いによって義と認められる者は、ひとりもいないからです」(ガラテヤ2章16節)、「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです」(エペソ2章8〜9節)と言われるとおりです。

 キリストの贖いのゆえに

 救いにおける神の恵みが意味するところを言い表すのが、続く「主イエス・キリストの贖いゆえに、キリストを信じるただその信仰によって」ということです。キリストこそが私たちの「義と聖めと、贖い」(汽灰螢鵐硲云30節)であり、キリストが十字架の贖いによって勝ち取ってくださった義が、聖霊によって私たちにもたらされ、私たちは神の御前に罪あるものでありながら、「真理に基づく義と聖をもって神にかたどり造り出された、新しい人」(エペソ4章24節)という衣を着せていただいて、神の御前に義と認められたのです。

 これは決して揺らぐことのない神の確かな決定であり、キリストがその確かさの根拠です。私の側にある何ものかによって左右されるものでなく、三位一体の神の主権的で自由な恵みによるものです。この恵みへの応答が、「食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現すために」(汽灰螢鵐10章31節)という私たちの人生なのです。

 


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