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投稿者 : doumei 投稿日時: 2011-08-31 02:28:43 (1450 ヒット)

心を整え、身を慎み

理事 朝岡 勝(徳丸町キリスト教会)

万物の終わりが近づきました。ですから、祈りのために、心を整え身を慎みなさい。汽撻謄蹌款錬契

⒈終わりの時を知る者として

 暑い夏を過ごし、一年の後半への歩みが始まろうとしています。ともすると当たり前のように季節が移り変わり、当然にように夏が終われば秋が来ると考えてしまう私たちですが、3月から半年を過ごし、あらためて一つの時を境にして世界が一変することを経験した私たちは、いやがうえにも「終わりの時」を意識して生きざるを得ない者とされているように思います。聖書が語る「終わり」とは私たちの人生のみならず、この被造物世界にとっての究極の時の到来を意味しており、それはまた万物を統べ治めておられる主の御前での最終的な精算の時、裁きの時、主人に申し開きをする報告の時でもあります。そして終わりの時の近づきを知るキリスト者の基本的な生活の構えは、絶えず目を覚ましているということでした。万物の終わりが近づいて来ている。今まさに終わりの時が来たらんとしている。この時の緊張感の中で、主にある者の日々は一日一日と続けられ、今日のこの時に至っているのです。終わりを知る者としての日常生活は、万物の終わり、世界の終わりの接近に恐れおののき、慌てふためき、浮き足立つのでなく、さりとてどうせすべては終わるのだといって刹那的になり、自暴自棄になり、投げやりになるのでもありません。聖書は終わりの時を知る私たちの人生態度として「祈りのために、心を整え、身を慎みなさい」と教えるのです。

⒉心を整え、身を慎む

 終わりの時の近づきを知る者として心を整え、身を慎むという態度は、第一に再び来たりたもう主イエス・キリストへの待望の姿勢として表れます。「ですから、あなたがたは、心を引き締め、身を慎み、イエス・キリストの現れのときあなたがたにもたらされる恵みを、ひたすら待ち望みなさい」(1章13節)。私たちにとっての「終わり」は、キリストの再臨への「希望」に導かれています。恐れと憂いが地を覆う時代の中で、キリスト者は背筋を伸ばし、天を仰いで、キリストにある救いの完成を待ち望むことによって、人々に希望のありかを指し示すという大切な務めが委ねられているのです。第二には、今なお続く悪しき者、サタンとの戦いの覚悟の姿勢ということです。「身を慎み、目を覚ましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい」(5章8〜9節)。すでに主イエス・キリストによる勝利は確かとされていますが、なお地上には悪の力が蔓はびこ延り、サタンは様々な策略をもって世界を攻め立てます。私たちは恐れおののくことなく、かといって慢心して眠りこけることなく、心を落ち着け、神の前に思いを整え、身を慎みながら生きるようにと導かれているのです。

⒊祈りへと向けられた生

 終わりの時を知る者の日々は「祈り」へと方向付けられた生です。 私たちは祈ることをしばしば消極的なことととらえがちです。他に何もできないのでせめて「祈り」を、と言ってみたり、すべて為す術がなくなったところで最後の抵抗の手段として「祈り」にすがってみたりすることはないでしょうか。しかし聖書は主なる神への積極的な服従としての祈りを教えています。終わりの近づきを知るがゆえに祈る。そうして主の御心に積極的に従う祈りに向かって自らを整えていく。私たちの生きる姿勢もまたこのように整えられていきたいと思うのです。


投稿者 : doumei 投稿日時: 2011-08-22 19:50:10 (1398 ヒット)

「宣教121周年大会」開催決定

 大震災のために開催を断念した120周年大会ですが、状況を考えながら、理事会は来年の開催を決定しました。

日時 2012年11月22日㈭〜24日㈯

会場 検討中

これからの準備のためにぜひお祈りください。また来年の計画に加え、ふるってご参加ください。


「宣教121周年記念大会」大会会長 

安藤能成 


投稿者 : doumei 投稿日時: 2011-08-22 19:47:58 (1370 ヒット)

教団ニュース

《会  議》
理事会 9月12日㈪ 教団事務所
《教団総会・研修会》  
補教師研修会 9月12〜15日(月〜木) 浜名湖バイブルキャンプ場

第62回教団総会・研修会 10月4〜6日(火〜木)  松原湖バイブルキャンプ場
《正教師試験願書・教師加入(本審査)願書受付のお知らせ》
 同書類を8月31日㈬当日消印有効 教団事務所で受け付けています。正教師試験を受験される方は、配達記録の残る方法(書留等)を利用してご提出ください。なお詳細については、世の光3月号5頁〜6頁でご確認ください。受験願書の問い合わせ及び取り寄せ(120円切手を貼った返信用封筒同封)は、教団事務所までお願いいたします。
 


投稿者 : doumei 投稿日時: 2011-08-22 19:12:31 (1341 ヒット)

日本同盟基督教団の素晴らしさの一つ

国外宣教委員 野町 真理(杉戸キリスト教会牧師)

私たちが所属している日本同盟基督教団の素晴らしさの一つは、毎年バージョンアップして発行される「祈りのネットワーク」ではないでしょうか。「祈りのネットワーク」によって祈りの絆が深められる時、宣教協力が目に見える形となって前進します。それぞれの国や地において主イエスに呼び集められ、建てられている地域教会。教師や宣教師たち。各宣教区と国内宣教。バイブルキャンプと国外宣教。神学生と神学教育機関。教団事務所、各部・委員会、そして理事会。互いの尊い働きにおける祈りのリクエストが毎年アップデートされ、「祈りのネットワーク」の中に収録されています。

 「わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。」(ヨハネ福音書15章5節)。

 上記のみことばのように、互いに委ねられた地において、ぶどうの木である主イエスとの絆を深め、豊かな実を結ぶ枝とされる。さらに互いに祈り合うことによって同労者の絆を深め、日本( Japan ) とアジア( Asia ) と世界( World ) に一緒に出て行き、仕える僕( Servant ) となる。そしてすべての栄光が、神にのみ帰される。そのために「祈りのネットワーク」は、非常に具体的な助けと力になる小冊子です。今年はぜひ一人一冊「祈りのネットワーク」をお求めくださり、日々の祈りの中で用いてくだされば感謝です。


投稿者 : doumei 投稿日時: 2011-07-13 02:38:51 (1448 ヒット)

各教会の地図を作成しました。


写真・地図の掲載に関して問題がある場合は教団事務所までご連絡下さい。


maps.google.co.jp/maps/ms


 


投稿者 : doumei 投稿日時: 2011-07-05 01:21:19 (19544 ヒット)

日本同盟基督教団所属教会の教会堂写真集

(「2011年版祈りのネットワーク」に掲載したものです)

写真掲載に関して問題がある場合は教団事務所までご連絡下さい。

写真を二次使用する場合は使用する教会の許可を得て下さい。(掲載している全ての写真に教団マークが入っています) 


日本同盟基督教団所属教会の教会堂写真集・サムネイル式
日本同盟基督教団所属教会の教会堂写真集・フレーム式
日本同盟基督教団所属教会の教会堂写真集・スライドショー(ActiveX コントロールを許可して下さい。)
 



投稿者 : doumei 投稿日時: 2011-07-04 19:22:09 (1662 ヒット)

献身を考える

理事 丸山 園子(京都めぐみ教会牧師)

 だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについてきなさい。マルコ8章34節

 東日本大震災は多くの変化をもたらしました。一瞬にして失ったことの痛みとともに、価値観をも変えました。原発のために避難を余儀なくされた方々が、家財持ち出しのために一時帰宅を許された時、「何を持ち出すべきなのか、何が大切なのかわからなかった。」と語っておられたことが心に残りました。有限な物を取捨選択することは、五十歩百歩。いつか失われていくものです。有限な物の中に握りしめなければならないものはないということでしょう。わかっていても、私たちの日常生活の取捨選択はどうでしょうか。


捨てること取ること

 主イエスは、取捨選択を明確にされました。冒頭のみことば、マタイ・マルコ・ルカ福音書に5回繰り返されています。主が命じられた弟子の道、献身の歩みです。弟子の道の第一は、身辺整理。必要なことは、捨てることでした。不要だと拒否することではありません。所有権を放棄すること。自分自身、自分の財産・時間・能力・家族…自分のものと主張しないことです。握りしめている自分の手を離すことは恐れ・不安を伴います。しかし、大丈夫。それらはみな主が備え続けてくださいますから。神様が私のことを心配してくださいますから。捨てることは主にゆだねることです。そして、手に取るべきは十字架です。私たちの古い人はキリストともに十字架につけられました。今、私たちを導いてくださるのは、主イエスです。これを確認する十字架。キリストが生きて導いてくださっているはずなのに、私が幅をきかせ活躍しているということはないでしょうか。日々の生活を自分の思いと力のままに進み、この地上のことだけで価値判断しているならば、キリストの十字架の敵として歩んでいることになります《ピリピ3章18〜19節》。放棄したすべての所有権はキリストにあると告白して生きることが必要です。この整理の上に、主イエス・キリストと同じ道を歩むこと=キリストに倣って生きることは可能です。キリストの御霊が、私たちを導き、栄光から栄光へと変え続けてくださいますから。だれでも、願うなら弟子なんて、重い。そこまでしなくてもそこそこの信者でいい、と言うならば、思いは地上のことだけになっています。父のもとにゆく道は主イエスだけ。最終ゴールできなければ意味がありません。とすれば、弟子の道・献身の歩みは、死活問題です。牧師や教会奉仕者だけに問われることではなく、すべての人に。だれでも。このための条件は、ただ一つ。神様は、できるかできないかを問うておられません。願うか、願わないか。願い求めるところから始まります。心のうちにある願いを確認する必要があります。主イエスについてゆきたいと願っているでしょうか。願っているならば、まずは整理が必要です。そのためには、整理のための時間をとる必要があります。日ごとのディボーション。そして、間もなくキャンプシーズン。地上のことにとらわれがちな日常生活の場から離れて、本格整理をしてはいかがでしょう。ゴールに向かう意思、捨てること・取ることを確認して、主イエスの道に歩みましょう。主イエスのように愛することも、人に仕えることも、ここがスタートです。


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